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このページはハイパーコンテンツビルダーが 2007年 12月 25日 00時05分28秒 にクロールしたキャッシュ情報です。

埋没とは?

[ 33] 埋没毛
[引用サイト]  http://jps.ac/movie/photo10.html

正常な場合、毛は皮膚の外にでている部分(毛幹)と皮膚の中にある部分(毛根)があります。正常では皮膚の外にでるはずの毛の先端が皮膚の中でトグロを巻いてしまうことがあります。「埋没毛」といいますが原因と解決法を述べます。
いつも剃刀で剃る習慣の人でも、たまには毛穴の開口部を傷つけてしまうこともあるはずです。またピンセットなどで引き抜いている人でも深く差し込んで傷つけてしまうこともあるかもしれません。
そうすると、傷どうしが癒着して毛穴が塞がってしまうことがあります。塞がれた天井を突き破れずに、成長してきた毛は毛包の中でトグロを巻くしかないのです。
埋没毛が成長すると、癒着した薄い天井から毛が見えてみっともないですから、また全体的に盛り上がった感じとなり、気になってピンセットなどでほじくって引き抜きたくなってしまいます。実際に引き抜いても再び(前より強い)癒着がおきてしまいます。何回も引き抜いている間に毛嚢炎をおこすこともあります。このような悪循環を繰り返していると、度重なる機械的刺激と炎症によって色素沈着もおきてきます。
レーザー脱毛が普及する以前は、自己処理が嫌になった人は針脱毛を受けていました。針脱毛は、細い毛穴に沿って金属針を差し込んで、奥まで達したら通電して赤で示した範囲をくことによって毛包を変性させて永久に毛を生えなくさせようというものです。成功すると毛は生えてきませんが、所々では熱のために癒着していると考えられます。もちろん癒着していても毛が生えてこないかぎり問題は発生しません。
でも考えてみてください。毛穴によって深さや向きはちがいます。産毛のような細い毛穴では慣れた人でも必ず的中するとは限りません。この絵のように毛包からずれて針を刺す場合も希ではないはずです。
このまま通電したらどうなるのでしょう。毛穴の開口部には電流が流れますから癒着がおこります。一方、毛包は完全に変性していませんから毛は成長してくるでしょう。針脱毛を受けている人、受けた人に埋没毛が多いのはこういう理由なのです。
トグロを巻いた毛はボリュームがありますから、また毛穴の周辺は色素沈着をおこしている場合が多いですから大量の熱が発生します。この高熱によって、ほとんどの場合には自壊して埋没毛は自然排出されてしまいます。自然排出されなくても、ニキビが破けたような毛嚢炎がおきます。そうなったらグジュグジュになった毛嚢からピンセットで毛を取りだします。
毛包の壁にある毛の再生工場である幹細胞は変性していますから毛は生えてこないはずです。もちろん高度な炎症のあとですから、傷が落ち着くのに数週間は必要でしょうし、その後しばらくの間(6ヵ月程度?)は強い色素沈着が残るでしょう。色素沈着は不満かもしれませんが、少なくとも毛は生えてきませんから悪循環は断ち切れます。新たな刺激さえなくなれば次第に皮膚は回復してくるものです。
レーザー照射前から色素沈着があった人では永久的なシミを残すこともあるでしょうが、他に治療法がないのですから我慢してください。
長年にわたって剃刀で処理していたために皮膚がかさかさして黒ずんでいますが、レーザー照射によるヤケドは幸いおきませんでした。(冷却装置のついたダイオードだから、このような例でも安全に照射できるのです。アレキサンドライトではこういうことはできません)
2週間目ですから、毛の「燃えかす」は青丸で囲んだように所々で残っています。緑で囲んだところでは「燃えかす」は既に脱落しています。
たまに、毛穴の開口部の癒着が高度なために自壊してこない人もいます。このような人では燃焼した毛が「燃えかす」として、そのまま固まってしまうこともあります。
赤で囲んだ埋没毛は皮下の浅いところにあり、何回か照射していると破けて排出されるかもしれません。青で囲んだ埋没毛は深いところにあるため、このままの状態で残りそうです。
(毛そのものは黒色なのですが、皮膚を介すると青く見えるのです。○で囲っていないところにも何ヶ所か深い埋没毛があるようですね。レーザー照射で悪循環は断ち切れましたが、このような青い斑までは解決できないのが現状なのです)

 

[ 34] 二重まぶた手術,埋没法
[引用サイト]  http://www.futaemabuta.com/ope_3.html

埋没法は日本中で広く行われており、美容外科手術の定番でもあります。埋没法は10分くらいでできてしまう簡単な手術だとよく広告されています。しかし、今まで悩んできた患者さんにとって、手術を受けることは重大で、深刻な決断であるわけですから、そんなに簡単に片付けられて良いのでしょうか。まぶたの状況は各人で異なっており、希望する二重ラインも千差万別です。手術は画一的に同じ規格で簡単にすべきものではありません。各人のまぶたに応じて埋没法の糸の止め方にも工夫が必要なのです。
希望の二重ラインにマーキングし、まぶたの中を細い医療用の糸で留めます。手術後に気が変わっても簡単に幅を変えたり、一重にもどしたりできます。メイク感覚で気軽にでき、修正可能な二重まぶた手術ですので初めての方にお勧めです。一般に「メスを使わない方法」としてどこのクリニックでもポピュラーに行なわれています。
埋没法は切開法に比べて、まぶたの皮膚に傷が残らない、術後の腫れが少ない、手術が簡単で10〜15分程度の短時間で終わる、元に戻せる、やり直しが簡単などの長所があります。美容外科を受ける患者さんの中には、手術を受ける時には絶対に大丈夫と心に決めていても後になってやはり元に戻したいとか、もう少し控え目にしたい、幅広くしたいと気が変わる方もいらっしゃいます。埋没法では手術直後は針の穴の傷はありますが、1週間もすれば皮膚表面には目立つ切り傷にはなりませんので、後で別のラインに二重を作り直しても不都合は生じません。手術後2〜3ケ月であれば、埋没した糸を取ればまず確実に元に戻せますし、1〜2年経過していてもかなりの確率で元に戻せます。
埋没法として使う糸の本数は、1本使う方法(1点法)のほか、2本(2点法)、3本(3点法)あるいは4本(4点法)、と糸の本数を増やすことがあります。1本しか糸を掛けない方が腫れや異物感が少ないと言えます。まぶたのような小さな組織に、たとえ細い糸とはいえ異物を入れるのは、やはり少なければ少ないほどよいと考えられます。時々、埋没法でまぶたの中に糸が複雑に多数縫い込まれている患者さんがいて、切開法で手術し直したところ非常に目が楽になったというケースもあります。簡単で組織のダメージが少ないはずの埋没法ですが、これでは意味が無くなってしまいます。
埋没法は切らずに簡単に二重になれると宣伝され夢のようにすばらしい手術であると勘違いしがちですが、当然欠点があることを理解すべきです。1つは切らない手術ですから、まぶたの中の筋肉や脂肪といった内部の組織を処理していませんので、まぶたの内部構造が元のまぶたのままであるということです。人間の体には修復機能がありますので手術しても元に戻ろうとしてしまうのです。もう1つは埋没糸という異物を使う手術だという点です。糸は医療用であるといっても人間の体にとっては所詮「異物」です。糸の掛け方によってはこの異物が体にさらに悪影響を及ぼすことになるのです。
埋没法の第1の欠点は、元に戻ってしまうということです。これはこの手術の宿命的な欠点であり、ずっと以前からいかにして元に戻る可能性をゼロに近づけるか、医師たちは色々の工夫を考え試してきました。しかし、この手術がまぶたの内部構造を二重になるように変化させてない限り、元に戻る可能性がゼロにはなりません。埋没糸が入っていても、人間の体には修復機能がありますので100%元に戻ろうとしてしまうのです。しかし、完全に元のまぶたに戻ってしまうことは少なく、大多数の人は、戻る過程のどこかの段階で落ち着くのです。すなわち中途半端に戻るわけです。具体的には二重のラインが浅くなったり、狭くなったりします。手術した2週間ぐらいは二重のラインがはっきりしていて良かったのに、だんだん二重のラインがぼやけてきたと感じるのです。このぼやけた二重のラインでも、十分に術前説明しない医師からは「クセがついて完全には戻ってはいないので、再手術は無料ではできない」と、永久保障を宣伝文句に掲げていながら、無下に断られたとの噂話を聞くことさえあります。
元に戻ってしまうという欠点は医師側からすればそれ程大きな問題ではありません。なぜならそれは取り返しがつくことだからです。もう一度糸をかけ直せばすむという意味において、非常に簡単にまた同じ形の二重を作ることが可能です。元に戻ったということはそれなりの理由があるわけですから、もし手術法の選択に無理があるのなら手術法を切開法などに変えることも必要です。埋没法において二重が元に戻ってしまう可能性があるという事実を、医師も患者側も納得していなければいけません。そういった納得、条件の下で手術が行なわれる限り、二重が元に戻ることは決して失敗ではないのです。ある手術の起こり得る可能性の一つとして医師と患者が理解し、納得しあって手術を行なうのでなければなりません。最近は永久保障制度があると宣伝し、患者さんを自分のクリニックに誘導していることを多くみかけますが、「埋没法は決して永久的な手術ではない」ことを考えると、私には「永久保障」とする考え方に理解できません。
埋没法の2番目の欠点として、埋没糸という異物を使った手術に起因する点で、糸の結び目が表から気になることがあるということです。もちろんこれは目を開けている時は全然わかりません。目を閉じている時、皮膚の直下にある糸の結び目が、小さな粒のようにコロコロとして見えることがあるのです。糸はどんな材料を使っても人間の体にとって異物ですから、その異物の周りに異物反応による小さな肉芽腫ができても仕方ないのです。それが表から見ると小さな粒のように見えることがあるわけです。このことに関する予防策はいくつかあります。できるだけ細い糸を使用してしかも結び目を小さくし、糸はの結び目はできるだけまぶたの筋肉(眼輪筋)の中にしまい込むようにすることです。結膜側に糸の結び目を置く術式も報告されていますが、手術手技上やや煩雑であり、元に戻したいと希望された場合、抜糸が難しいと考えられます。また角膜障害の可能性を常に内在しており、安全な方法とはいえません。さらに埋没糸の掛け方、特にまぶたの裏側の糸の掛け方によっては角膜障害の可能性があります。このことは次の「瞼板上端固定法」のところで詳しく説明します。
メイク感覚で二重まぶた手術を受けることができるという埋没法の利点を活かすために、可能な限り外科的侵襲の少ない術式に簡略化することは大切ですが、もっと重要なことは眼球に対し悪影響を及ぼさない、安全な方法が選択されるべきと考えています。安全な方法として次の「瞼板上端固定法」による埋没法が一番よいと考えています。

 

[ 35] 埋没林情報
[引用サイト]  http://www2.pref.shimane.jp/sanbe/muse/wood/wood1.htm

三瓶山の北麓(大田市三瓶町多根)にある三瓶小豆原埋没林は,縄文時代後期の三瓶火山の噴火活動によって埋没した巨木の林です。長大な幹が直立状態で多数発見されていることが最大の特徴で,大きなものでは直径1.5m以上,長さ10m以上に達します。また,火山泥流によって運ばれてきた巨木の流木群も発見されています。埋没立木の大半はスギで,トチノキとケヤキの巨木も発見されています。
三瓶山の周辺では地中に巨木が埋もれていることは昔から知られており,「埋もれ杉」「神代杉」などと呼ばれていたそうです。掘り出されて細工物の材料として使われることもあったということです。
小豆原地区では1982年に圃場整備が行われた際に直立したスギ巨木が掘り出されました。そのことは工事関係者以外にはほとんど知られることはありませんでしたが,その後,掘り出し作業中の写真を目にした松井整司氏(大田市在住・三瓶フィールドミュージアム財団評議員)によって埋没林の学術的価値がみいだされました。
松井氏と三瓶自然館は1994年からボーリングやトレンチ掘削を行い,埋没木を探しましたがなかなか発見には至りませんでした。そんな中,三瓶自然館の拡充計画が具体化し,埋没木を展示する構想のもとに1998年から島根県による大規模な調査がはじまり,同年11月,ついに最初の1本が発見されました。
小豆原埋没林は狭い谷の斜面から谷底にかけて生えていた林が地中に埋もれたものです。林を埋めている地層は三瓶火山の噴出物に由来する土砂からなっていて,下から火山泥流堆積物,火砕流堆積物,河川成堆積物の順に重なっています。火山泥流堆積物にはこれによってなぎ倒された巨木流木が多数含まれていて,その破壊力の凄まじさを思い知らされます。
では,小豆原に生えていた林がなぎ倒されることなく埋もれたのはなぜなのでしょうか? それはこの場所の地形が大きな要因だったと考えられています。小豆原の谷を流れる小豆原川は三瓶山に直接つながっておらず,三瓶山から流れ出る川とは埋没林発見地点の約1km下流で合流しています。二つの谷はほぼ平行して,低い尾根で隔てられています。三瓶火山の火砕流や火山泥流(土石流)は隣の谷を流れ下りました。やがて谷が埋め尽くされると,鞍部や合流点付近で尾根を越えて小豆原の谷に流れ込みました。尾根を越えて小豆原まで到達した泥流には林をなぎ倒す力は残っておらず,林は立ったままで埋められたと考えられます。
泥流の後に火砕流が林を覆いました。この堆積物には炭化した木片が多量に含まれていますが,巨木を炭化したり発火させるほどの温度ではなかったようで,立木は表皮の表面が若干炭化しているだけです。
その後,雨水や河川水によって土砂が流れ込んで堆積しました。これは合流点付近が泥流などによってせき止められた形になっていたために周囲から流れ込んだ土砂が堆積したと考えられます。
14C年代測定によって埋没立木の年代を測定したところ,3500〜3700年前の年代値が得られました。この値は縄文時代後期に相当し,三瓶火山の最後の大規模な噴火活動期と一致します。
三瓶火山は約10万年前から断続的に噴火活動を繰り返してきた火山です。古い時期の活動では,大規模な爆発的噴火を行っており,約10万年前の噴火で噴出された火山灰は東北地方まで分布していることが知られています。また,約7万年前の噴火ではカルデラが形成され,現在でもカルデラ壁の一部をみることができます。
縄文時代には中期と後期に活動を行っています。三瓶山東方の頓原町志津見地区ではダム建設に伴う遺跡調査によって縄文遺跡と三瓶火山噴出物との層序関係が明らかにされています。
三瓶山の現山体は男三瓶,女三瓶,子三瓶,孫三瓶,太平山のピークが環状にならび,中心に室の内と呼ばれる低地があります。この山体の成因について,かつて存在した大きな山体が崩壊したとする説と,それぞれのピークが独立した溶岩円頂丘(太平山は砕屑丘と考えられています)という説があり,いまのところ決着していません。
小豆原埋没林では立木と確定できるものが28本見つかっています。内訳はスギが21本,トチノキ3本,ケヤキ1本,クスノキ1本,イヌガヤ属1本,ツブラジイ?1本です。クスノキなどは小木が根株のみの状態で産出しているので,大きな木としてはスギが主体でトチノキやケヤキを伴う林だったと言えます。
現生のスギでは直径1.5m程度のものでは樹高が40m前後に達します。小豆原の林もそのような巨木が10m程度の間隔で生えていたと推定され,林の中は薄暗く鬱そうとしていたと想像されます。谷間であることから湿度が高く木々の根元は苔生していたことと思われます。
埋没木の根元には縄文時代の土壌が残っていて,そこからはスギをはじめ,トチノキ,シロダモ,スダジイ?などの葉がみつかっています。また,コガネムシやコメツキムシの仲間の昆虫化石がみつかっています。土壌の調査はまだ始まったばかりで,今後林の様子がより具体的に明らかになっていくと思われます。
2000年4月,出雲大社で平安時代の本殿の巨大な柱が発見されました。直径1.3mものスギを3本束ねたものです。古代出雲大社の本殿は48mもの高さを有していたという伝承が残っていますが,それが事実かも知れないと思わせるような巨大な柱です。出雲大社の例をはじめ,古くは縄文時代の丸木舟などスギはいろいろな形で利用されてきました。ところが,島根県では現生の天然スギ林は中国山地脊梁部の高所にしか分布しないため,スギの大木をどこから切り出したのかということが謎のひとつになっていました。しかし,小豆原埋没林(標高約200m)の発見によって少なくとも縄文時代には比較的低所にスギ巨木林が存在したことが明らかになり,スギ文化の背景を探る手がかりが得られたといえます。

 

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